永遠のジャンゴ

Introduction イントロダクション

  • Introduction1 ナチス支配下の戦争の時代を生きた不世出の天才ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの知られざる真実の物語を映画化Click
  • Introduction2 ジャンゴが残した名曲の数々をフィーチャーし、音楽史上のレジェンドの“魂”を今に甦らせた映像世界Click

Story ストーリー

Profile プロフィール キャスト&スタッフ

ジャンゴ・ラインハルト/レダ・カテブ

ジャンゴ・ラインハルト/レダ・カテブ

1977年、フランス・イヴリー=シュル=セーヌ生まれ。父親はアルジェリア人の俳優マレク=エディン・カテブ。舞台俳優としてキャリアをスタートさせたのち、ジャック・オディアール監督作品『預言者』(09)で映画デビュー。レア・フェネール監督の『愛について、ある土曜日の面会室』(09)、カトリーヌ・コルシニ監督の『黒いスーツを着た男』(12)などで注目を集め、キャスリン・ビグロー監督作品『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)でハリウッドに進出した。トマ・リルティ監督と組んだ『ヒポクラテス』(14)でセザール賞助演男優賞を受賞。そのほかの主な出演作は『晴れ、ときどきリリー』(10・未)、『SHIBARI 壊れた二人』(13・未)、『パリ、カウントダウン』(13・未)、『不機嫌なママにメルシィ!』(13)、『夜、アルベルティーヌ』(14・未)、『ロスト・リバー』(14)、『涙するまで、生きる』(14)、『孤独の暗殺者/スナイパー』(14)などがある。ヴィム・ヴェンダース監督がペーター・ハントケの戯曲を映画化した『アランフエスの麗しき日々』(16)では主演を務めている。

ルイーズ/セシル・ドゥ・フランス

ルイーズ/セシル・ドゥ・フランス

 1975年、ベルギー・ナミュール生まれ。17歳の時にパリへ移り住み、演劇を学ぶ。セドリック・クラピッシュ監督の青春映画『スパニッシュ・アパートメント』(02)でセザール賞の有望若手女優賞を受賞。さらにアレクサンドル・アジャ監督のホラー映画『ハイテンション』(03)で主演を務め、世界的な注目を集めた。ハリウッド進出作『80デイズ』(04)でジャッキー・チェンと共演し、再びクラピッシュ監督と組んだ『ロシアン・ドールズ』(05)でセザール賞助演女優賞を受賞。その後『モンテーニュ通りのカフェ』(06)、『ある秘密』(07)など4作品でセザール賞主演女優賞にノミネートされ、現代のフランスを代表するスター女優のひとりとなった。クリント・イーストウッド監督の『ヒア アフター』(10)、ダルデンヌ兄弟と組んだ『少年と自転車』(11)でも鮮烈な印象を残している。そのほかの主な出演作は『ぼくセザール 10歳半 1m39cm』(03)、『ジャック・メスリーヌ フランスで社会の敵(パブリック・エネミー)No.1と呼ばれた男 Part 1 ノワール編』(08)、『シスタースマイル ドミニクの歌』(09)、『ニューヨークの巴里夫(パリジャン)』(13)、『少女ファニーと運命の旅』(16)など。

エチエンヌ・コマール (監督・脚本)

エチエンヌ・コマール (監督・脚本)

 1965年、フランス生まれ。1992年にパリの高等映画学校ラ・フェミスを卒業。エラト・フィルムズでアンジェイ・ズラウスキ監督の『Boris Godunov』(89)、モーリス・ピアラ監督の『ヴァン・ゴッホ』(91・未)の製作業務に携わった。1990年代末からプロデューサーとして数多くの作品を手がけ、『ブラウン夫人のひめごと』(02)、『迷宮の女』(03)、『屋根裏部屋のマリアたち』(10)などを世に送り出している。グザヴィエ・ボーヴォワ監督との共同で初めて脚本を執筆した『神々と男たち』(10)でセザール賞脚本賞にノミネート。その後はクリスチャン・ヴァンサン監督作品『大統領の料理人』(12)、グザヴィエ・ボーヴォワ監督作品『チャップリンからの贈りもの』(14)、マイウェン監督作品『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』(15)の脚本を手がけている。アブデラマン・シサコ監督作品『禁じられた歌声』(14)では共同製作を担当。『永遠のジャンゴ』が監督デビュー作となる。

ローゼンバーグ・トリオ(音楽)

 ストーケロ・ローゼンバーグ(リード・ギター)を中心に、従兄のヌーシェ・ローゼンバーグ(リズム・ギター)、ノニー・ローゼンバーグ(コントラバス)で構成されるバンド。1980年頃からトリオでの活動を始め、1989年にデビュー・アルバム「Seresta」を発表。ジャンゴ・ラインハルトに触発されたジャズを奏でるとともに、クラシック、ポップス、ボサノバといった多様な分野の音楽をマヌーシュ・スウィング・スタイルで解釈して演奏し、数多くのオリジナル曲を組み込みながらレパートリーを広げてきた。
 ストーケロ・ローゼンバーグは1968年、オランダ生まれ。10歳からギターを弾き始め、父親と叔父の指導のもと、ジャンゴ・ラインハルトの曲を繰り返し聞きながら練習に励んだ。非の打ちどころのないテクニックと究極のエレガンス、そして見事なビブラートを融合させ、現代における最高峰のギタリストのひとりと見なされている。

ウォーレン・エリス(音楽)

 オーストラリアのヴィクトリア州で生まれ、大学時代にヴァイオリンを学ぶ。1980年代後半にヨーロッパ各国を旅し、帰国後に音楽活動を開始した。ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズ、ダーティスリーのメンバーとしても知られている。初めて手がけた映画音楽は、ダーティスリー名義で参加した『Praise』(98)。ジョン・ヒルコート監督作品『プロポジション -血の誓約-』(05・未)の音楽で、ニック・ケイヴとともにオーストラリア映画協会賞を受賞した。その後もニック・ケイヴとの共同で『ジェシー・ジェームズの暗殺』(07)、『ザ・ロード』(09)、『クライム・シティ』(11・未)、『ウエスト・オブ・メンフィス 自由への闘い』(12・未)、『母の身終い』(12)、『欲望のバージニア』(12)、『涙するまで、生きる』(14)の音楽を作曲。近作にはNetflixのオリジナル映画『最後の追跡』(16・未)、『ウォー・マシーン:戦争は話術だ!』(17・未)があり、初めて単独で音楽を担当したデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督の青春映画『裸足の季節』(15)ではセザール賞の音楽賞を受賞している。

パスカリーヌ・シャヴァンヌ(衣装)

 『クリミナル・ラヴァーズ』(99)で初めてフランソワ・オゾン監督と組んで以来、『まぼろし』(01)、『8人の女たち』(02)、『スイミング・プール』(03)、『ふたりの5つの分かれ路』(04)から近作『婚約者の友人』(16)まで同監督のほとんどの作品で衣装を手がけている。『8人の女たち』、『しあわせの雨傘』(10)、『彼は秘密の女ともだち』(14)、『婚約者の友人』などでセザール賞の衣装デザイン賞に7度ノミネートされており、『ルノワール 陽だまりの裸婦』(12)で同賞を受賞した。そのほかの主な作品は『薬指の標本』(04)、『チャーリーとパパの飛行機』(05)、『ミス・ブルターニュの恋』(13・未)、『暮れ逢い』(13)、『愛しすぎた男 37年の疑惑』(14・未)、『ボヴァリー夫人とパン屋』(14)、『ラスト・ボディガード』(15・未)、『太陽のめざめ』(15)、『アナザー』(15)など。

クリストフ・ボーカルヌ(撮影監督)

 撮影監督として初めてクレジットされた長編映画は『俺たちは天使だ』(95)。『ココ・アヴァン・シャネル』(09)、『さすらいの女神(ディーバ)たち』(10)、『美女と野獣』(14)、『Mal de Pierres』(16)の4作品でセザール賞の撮影賞にノミネートされた。そのほかの主な作品は『ビジター』(98)、『そして愛に至る』(00)、『やわらかい手』(07)、『PARIS(パリ)』(08)、『ミスター・ノーバディ』(09)、『チキンとプラム ~あるバイオリン弾き、最後の夢~』(11)、『美しい絵の崩壊』(13)、『ムード・インディゴ うたかたの日々』(13)、『ボヴァリー夫人とパン屋』(14)など。最近では『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』(15)、『神様メール』(15)、『ヒトラーへの285枚の葉書』(16)の撮影を手がけている。

Interview エチエンヌ・コマール監督 インタビュー

ジャンゴ・ラインハルトの映画を作りたいと思ったきっかけを教えてください。
 私は長い間、存在の苦しみに踏み込むミュージシャンの肖像画を描きたいと思っていました。40歳くらいの頃、数名の友人とともにロックバンドに参加し、再び音楽の世界に飛び込んで素晴らしい体験をしました! 音楽を演奏しているときは、簡単に自分を外界から切り離すことができることを私は忘れていました。当時、我々全員が人生の難しい時期に差しかかっていましたが、音楽を一緒に演奏する楽しみを持つことによって、それぞれの厄介な問題から自分を切り離すことができたのです。音楽が作る時間と空間は、文字通り人を中毒にしてしまうドラッグのようなものです。
 さらに私は、十代の頃の父との会話を思い出しました。父はジャンゴのことをとても尊敬していたのです。父は若い頃、戦時中にジャンゴの音楽を聴き、彼の曲やダンスが続く限り、ドイツの占領下にいることを忘れられたそうです。それからギターを習っていた私の甥が、ジャンゴの曲を夢中で演奏し始めました。そんなふうに世代を超えた音楽は、その魅力と楽しさで人々を魅了し、活気と素晴らしい効果をもたらしてくれるのです。それらすべてがジャンゴ・ラインハルトの人生を描きたいと思った理由でした。
 
なぜナチス占領下の時代に焦点を絞ったのですか。
  なぜならジャンゴの人生におけるその時期は、音楽が我々を世界からどれほど切り離すことができるかを証明する良い例だったからです。ジャンゴは絶頂期にありました。スウィングは公式には禁止されていて、ジプシーたちはヨーロッパ中で迫害を受けていました。しかしジャンゴはそのことに気づいていないようでした。それに、その時期の彼のことはあまり知られていません。ジャンゴがアメリカに行ってからのことやキャラバンの火事、相方のステファン・グラッペリのことはもっとよく知られています。
 私はジャンゴの全人生を大雑把に見ていく伝記映画を作りたいとは思いませんでした。正しいアプローチの仕方を見つけたかったのです。1943年の夏からフランス解放までの時期は、とりわけアーティストとしての彼の無知と、そののちに起こっていることに気づいたジャンゴという私自身の心を動かすテーマに触れることができる時代だと思ったのです。
具体的に、脚本をどのように書いていきましたか。
 出版社の友人であるアントワーヌ・カロが、アレクシ・サラトコによるジャンゴの伝記小説「Folles de Django」を紹介し、アレクシとのミーティングもお膳立てしてくれました。アレクシはジャンゴについて相当量のリサーチを行っていたのです。私は一緒に仕事をしたいと申し出ました。彼は映画の脚本を書いたことがなかったので、私たちは力を合わせ、彼の小説とはかけ離れた映画の脚本を書いたのです。
 その後、私はジャンゴの孫にあたるダヴィド・ラインハルトと出会いました。アメリカで彼の先祖について描く伝記映画の企画がいくつか頓挫していたこともあり、ダヴィドは私に信頼を寄せてくれました。そして当時のジャンゴについて多くを語ってくれたのです。おかげで私の映画は、パリでのジャンゴについて、パリ出発とトノン=レ=バンでの滞在について、ヴィラ・アンフィオンでの夕べについて、スイスへの逃亡について、レクイエムの構成について、真実に基づく映画を作ることができたのです。私はそういった脈略のない要素を架空の物語の中にまとめていきました。
 
本作のプロローグにおける監督の音楽に対するヴィジョンは、ジャンゴの現実が見えていない状態を象徴していますね。
 私は実際、映画の最初のシークエンスを音楽で言うところの“序曲”として心に思い浮かべていました。それが、この映画の物語の前兆となるのです。迫りくる危険を聞き取ることを拒否し、目を閉ざしたミュージシャン。ジャンゴはそのせいで大きな代償を払うことになる。私の言葉は実際に彼に降りかかることとは少し違うかもしれませんが、比喩的には同じことなのです。
 ジャンゴの文化的背景もまた彼が気づかない理由を説明しています。ジプシー社会では、戦争は一度も自分たちの問題ではなかった。それはガジェ(ジプシー以外の人たち)の問題なのです。ジプシーには領土がない。所有という感覚もない。何か争いが持ち上がれば、そのグループの中で解決する。それがある意味、第二次世界大戦中もどこにも帰属しなかったジプシーの独自性を説明しています。今日でさえ、ユダヤ社会とは異なり、ジプシーは自分たちが被った最悪の出来事について語ろうとはしません。現在に生きる彼らは、滅多に過去を振り返らない。ジプシー社会には、他の社会に存在する歴史など存在しないのです。
この映画で私たち観客が初めて目の当たりにするジャンゴはステージに立っていますね。
 そうです。なぜならジャンゴは音楽そのものだからです。私たちはジャンゴが一番得意とすることをしている姿を見せて、彼をシンプルに紹介したかったのです。彼はどんなふうに演奏するのか。彼の天才的な才能、軽蔑、起伏の激しさ、情熱、無関心など、何もかも表現したい。なぜなら、彼はそのすべてだから。ジャンゴが演奏しているたった7分間のシークエンスの中でそのすべてを伝えられるのか? 私はそう願っています。天才にはよくあることですが、ジャンゴは矛盾の塊でした。
 それに私は、観客が映画の冒頭部分では彼を容易に理解できないようにしたかった。そこには心理状態があからさまにわかるようなものはなく、どのシーンも前のシーンで起こっていることとは矛盾しています。ジャンゴは時に愉快で、時に不機嫌で、チャーミングで、怒っていて、臆病でもある。でも彼の音楽が、映画の進行とともにそれらすべてをつなぎ合わせていきます。そして私たちは徐々に感情移入し始める。物語を通して難しかったのは、音楽を単なる説明にせず、アクションと主人公の感情のベクトルにすることでした。
ジャンゴが「レクイエム」を作曲するエピソードについて教えてください。
 ヴィシー政権は1941年、サント=マリー・ド=ラ=メールへの巡礼の旅を止めさせ、ジプシーたちは絶望します。ジャンゴはジプシーのコミュニティにジプシーの作曲家が作曲した葬送曲がないのはよくないと考えました。そして戦争の終わりに経験したことに刺激を受け、「レクイエム」を作曲しようとします。ジャンゴは音楽やダンスミュージックやスウィングを楽しむのに、制限などないと考えていました。何度か交響曲を作曲しようとしたくらいです。彼はバッハ、ドビュッシー、バルトークを崇敬していました。前衛音楽にも遅れずについていき、宗教音楽も好きでした。その両面性が「レクイエム」の作曲に発揮されています。
 映画での問題は、それをいつ鳴らすのかということでした。それによって単なる説明ではなく私的な深い感情が残り、ジャンゴが音楽のことをどう考えていたかわかるのです。政治的に関与しないミュージシャンやアーティストと違い、ジャンゴは政治をどんどん意識していきます。それは「レクイエム」を作曲するときの音楽性の変化でわかるはずです。私はそれを贖罪の一種ではないかと想像します。このキャラクターの限界に私は深く感動しました。ジャンゴはヒーローではありません。彼は自分ができることをしようとしただけなのです。